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高千穂郷行政区分の変遷〜古代から江戸期まで


「高千穂」は古代においては現在の宮崎県(高千穂町・日之影町・五ヶ瀬町・諸塚村)と熊本県(阿蘇郡と上益城郡の東部)にまたがる広大な地域名であり、日向・肥後に分離した後も、高千穂庄または高千穂郷と呼ばれる十八ヶ村にわたる戦国時代までは、領主を戴く一つの国であった地域の名称です。

●和銅6年(713)「風土記」
・・・日向の国の風土記に曰く、臼杵の郡の内、知鋪(ちほ)の郷・・・

●天平神護元年(765)「宇佐八幡宮託宣」
天平神護元年閨十月八日 従三位大弐石川豊成・・・自其豊後日向肥後三箇国乃中広大野有り...
件地等号野郷北野
高智保と・・・

●延長3年(925)「和名類聚抄」
肥後国第百三十 阿蘇郡  波良 知保 衣尻 阿蘇 (知保郷は馬見原・草部地方か?)
日向国第百三十一 臼杵郡  氷上 
智保 英多 刈田


●明暦3年(1657〜)「大日本史」
・・・(巻316)日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄、郡の西北に在り、・・・属村村十八
・・・(巻315)肥後国阿蘇郡、
知保、今南郷と曰う、郡の南に在り、属村四十二、高千穂峰有り、・・・

●元禄年間(1688-1703)以降三ヶ所・桑野内が分離し十八ヶ村となる。

高千穂郷の行政組織

藩主

-

郡奉行

-

高千穂代官

-

村廻役

-

庄屋

- 筆者
- 弁指 - 五人組 - 組員
- 小触 - 使番

参考:「諸塚村史」(諸塚村史編纂委員会・平成元年)
「わたしたちの高千穂町〜教師用手引き」(高千穂町教育委員会・昭和56年)

高千穂郷行政区分の変遷

天正十八年(1590)
黒田官兵衛検地帳

元和六年(1620)
有馬氏村別石高表

元禄年間以降明治まで
(1688-1703〜〜1871)

三田井村

三田井村

三田井村

五ヶ所村

五ヶ所村

五ヶ所村

河内村

河内村

河内村

田原村

田原村

田原村

上野村

上野村

上野村

下野村

下野村

下野村

岩戸村

岩戸村

岩戸村

土路久

山裏村

山裏村

山裏村

登尾

七折下

七折村

七折村

宮水

鹿川

船野尾

押方村

押方村

押方村

向山村

向山村

向山村

岩井川村

岩井川村

岩井川村

分城村

分城村

分城村

家代村

家代村

家代村

七ツ山村

七ツ山村

七ツ山村

松ノ平

桑ノ内村

三ヶ所村

三ヶ所村

桑野内村

鞍岡村

鞍岡村

鞍岡村

23ヶ村

17ヶ村

18ヶ村

参考:「諸塚村史」(諸塚村史編纂委員会・平成元年)


高千穂郷八十八社 http://www.takachiho88.net/